日本最古の私立総合学塾である慶應義塾は、積極的なDXに取り組んできました。しかしその裏で、キャンパスや部門ごとに個別最適で作られてきたポータルが乱立し、「必要な情報や手続きにたどり着く時間」が増大していました。そこでServiceNowを導入することで、全学内共通の業務基盤となる新ポータルを構築。分散していた情報やワークフローをシームレスに統合することで、教職員の業務効率を大きく向上しています。
進めてきたDXの取り組みは本当に正しいのか
1858年に福澤諭吉が江戸に創立した蘭学塾から始まり、160年を超える歴史をもつ慶應義塾。現在では東京・神奈川の6つのキャンパスにて10学部14研究科を擁する総合学塾へと発展し、幾多の人材を輩出しています。
教育や学内業務のデジタル化にも積極的に取り組み、2019年にデジタルアドミニストレーションオフィスを設置し、DXを推進してきました。
慶應義塾情報センター(KIC)は、約2年前に再編成された新しい組織です。そのミッションは、ハードの管理にとどまらず、本学全体の教育・研究・業務を支える情報基盤の整備と、大学全体で活用されるアプリケーションの企画・開発をリードすることにあります。単なるIT部門ではなく、大学のDXを支える存在としての役割を果たしています。
ただ、これまでの方向性や成果には多くの“疑問”も生じていました。情報センター(KIC) 事務長の武内孝治氏は、「多大な費用、手間、時間をかけて取り組んできた結果、何を実現できたのか、我々が進んでいる道は果たして正しいのか、次第に確信を持てなくなっていたのです。これが本当にDXと言えるのか、実感がありませんでした」と語ります。
実際、学内におけるITの取り組みには長い歴史があり、そのぶん新旧さまざまなシステムが混在しています。
「多くの大学と同様に、本学でも非常に古いシステムが一部に残っており、新旧さまざまなシステムが混在する状況でした。そのため、各サービスへのリンク集などの仕組みを提供することで、これらのシステム間の連携をかろうじて維持しているのが実態で、教職員にとって十分なユーザー体験が提供できていませんでした」(武内氏)
本学 KIC 次長の赤堀光希氏は、このように続けます。
「そもそも学内のポータル自体が複数存在し、どこから入ればよいのか、必要な情報がどこにあるのかも分からない状態でした。本学のIT環境は、部門ごとに個別最適化されたシステムによって成り立っており、必要な機能やシステムは揃ってはいるものの、ほしい情報や手続きにたどり着くまでの時間が増大していました。例えば、名刺を作成したいと思っても、どこでどう発注すればよいのかが分からず、そもそもシステム化されているのかさえ把握できていない状況でした」
全ての教職員を1つにつなぐプラットフォームを求めた
学内のシステムは、オンプレミス環境で稼働する500台を超えるサーバーのほか、多数のSaaSを基盤として構築・運用されています。これらのシステムの入口となるポータルは、まずメインとなるものが2本あり、さらにその配下に部門単位で立ち上げられた20~30本ものサブポータルが乱立していました。
長年学内に務めているベテランなら使いこなすことができますが、新たに入職した教職員にとっては至難のわざです。
では、どうすればこの課題を解決し、ユーザビリティを上げることができるのか――。本学が求めたのは、全ての教職員を1つにつなぐプラットフォームです。
「教職員に寄り添った部門横断の業務基盤として、効率的な情報探索と一元的な業務アクセス、分散していたワークフローならびに通知の集約を実現する、統合的なポータルへの刷新を目指しました」(武内氏)
その基盤として導入したのがServiceNowです。2023年9月から12月にかけてPoC(概念実証)を実施。学内に分散した個別システムやポータルを統合し、情報とワークフローを一元化した全体最適化を実現する「デジタルハブとしての統合性」と、アジャイルな継続的改善が可能な「クラウドサービスとしての拡張性」という2つのメリットに手応えを掴んだ結果、2024年1月に正式導入しました。
「各部門が個別に導入を進めてきた業務特化のシステムについては、今後もその意義を尊重します。一方で学内共通のナレッジ記事やマニュアル、通知の仕組み、ワークフローなど汎用的な機能についてはServiceNowに集約・実装し、運用していくことを前提とするハイブリッド型のポータル構築に臨みました」(赤堀氏)
赤堀氏は次のように続けます。
「検討を進める中で、学内にはナレッジを組織的に蓄積・共有できる共通基盤が存在しないという課題に気づきました。部門ごとに分断された情報をServiceNowを利用したプラットフォーム上で一元化することで、業務効率の向上や情報の探索性の改善が期待できると考えました」
ServiceNowをOOTBで活用し新ポータルを効率的に構築
本学がServiceNowを基盤とした新ポータルの構築を進めていく上で徹底したのは、標準搭載されたナレッジベースやニュース、ワークフロー、タスク(To Do)などの基本機能をカスタマイズすることなくそのまま利用する、「OOTB (out-of-the-box) で工数をかけずに作る」という設計方針です。
「KICの限られた人的リソースでServiceNowを導入・維持していく上でOOTBは欠かせない視点であり、多くの機能を作り込むことよりも本質的なUX(ユーザー体験)を向上することを目指しました。また、OOTBを基本とすることで、メンテナンスフリーの実質的なSaaSとしてServiceNowを利用できるメリットを重視しました」(赤堀氏)
実際、OOTBを基本としたことは、プロジェクトメンバーの活動にも大きな効果をもたらしています。KIC 事務員の永尾元裕氏は、次のように語ります。
「新たにジョインした教職員も迷わずに利用できる新ポータルの実現に向けて、画面デザインの試行錯誤を重ねてきました。例えば、検索窓や各アプリケーションへのリンク、通知ハブ(タスク)、ニュースなどの要素の配置は、ユーザーがより直感的に理解しやすくなるよう、少しの調整でも印象が大きく変わる部分です。
ServiceNowのOOTB自体にオプションが豊富であるため、設定値を変更するだけで度重なる修正要求にも柔軟かつ迅速に対応することができました。その結果、工数をあまりかけずに、“慶應らしさ”を追求した新ポータルを構築できたと思います」
これと並行する形で、さまざまなワークフローの実装も順調に進んでいます。
KIC 事務員の吉澤菜実子氏は、「主に学内のさまざまな資産・施設の管理に関するワークフローの整備を進めています。例えば各キャンパス内への車両乗り入れの許可申請もその1つです。これまで紙の申請書であったり、メールであったり、Webフォームであったりと、バラバラだった手続きをServiceNowの標準ワークフローに統一し、新ポータルから利用できるようにしました」と語ります。
さらにKIC 事務員の山岡祐里奈氏も、「同様に私が担当しているIT領域でも、学内に独自のWebサイトを立ち上げる際の許可申請や新規アカウントの発行依頼、ネットワークの利用申請などを受け付けるワークフローの作成にあたっています」と続けます。
これらのワークフローの整備が進むに伴い、学内業務の大幅な改善と効率化が加速的に進んでいくことが期待されます。
「これまでは、教職員が何らかのアクションを起こそうとする際、どんな手続きが必要で、どこに問い合わせればよいかが分かりませんでした。今後ServiceNowのワークフローやナレッジをさらに整備していくことで、教職員がポータルから検索し、自ら申請画面や窓口にたどり着けるケースが増えると思います。加えて、ServiceNowのワークフローで、誰が、いつ、何を承認したのかの履歴も確実に残すことで、ガバナンスを高めることができます」(吉澤氏)
ポータルの利用拡大と定着化を図りUXを向上する
ServiceNowを基盤に構築された新ポータルは2024年8月より運用を開始し、着実なペースで定着化が進んでいます。このポータルは、6キャンパスに勤務する教職員、約11,000人(2024年5月1日現在、非専任含む)が活用しています。
そして今後に向けても、新ポータルのさらなる利用拡大と定着化を図り、学内業務のDXを推進していく意向です。KICでは前述した情報探索の件数のほか、さまざまなナレッジ記事について「役に立った」「役立たなかった」といった評価もユーザーから収集しており、このフィードバックをもとにPDCAサイクルを回すことで、情報が不足している部門の傾向を把握し、これを補うナレッジやコンテンツの拡充を図っていこうとしています。
また、多岐にわたる既存システムとの連携拡大を図り、通知の一元化や分散したワークフローのシームレスな統合を進めていくことも大きなテーマです。
その上で武内氏は、「投資対効果との兼ね合いとなりますが、ServiceNowの生成AI機能やAIエージェント機能の導入なども選択肢として考えています」と語っており、新ポータルから創出するUXのさらなる向上を見据えています。